第3回船場今橋・大美落語会 大阪美術倶楽部(旧鴻池家本宅跡)2階光悦の間
・桂 二乗 道具屋
・桂 文昇 餅屋問答
・笑福亭竹林 井戸の茶碗
中入り
・菊地まどか 浪曲・嫁ぐ日
・桂雀三郎 三十石夢の通い路
職場のIさんと行く落語会。Iさんは主婦だけどここ2ヶ月ほどで4回目の落語会。
家庭は無事なんだろうか?
いつものように、後方の大きな椅子席に腰かけ、足をぶらぶらさせながら開会を待っていると、なにやらそのIさんと隣のおばさんとが話をしている。聞くと、京都に住んでいる方で、米二さんと雀三郎ファンとのこと。
京都なので、大阪では京阪沿線の落語会にせっせと通い、明日も安井神社に行く(会員にもなっている)とのこと。
ええなあ。
で、まずは、桂 二乗さん、米朝師匠のお宅の大掃除に行った話(1万円入りの封筒があちらこちらから出てきて、トータル40万円)で、お宅にはいろいろな骨董などがあるという話から、道具屋を。
続いて、桂 文昇さん、餅屋問答。
たしか、先週、花○花で聞いたところ。
続いて、笑福亭竹林さん。
マクラでは、奈良県出身の人物が何かのメディアに載っていて、聖徳太子の次に笑福亭竹林があり、非常に喜んでいるとのこと。何より「人物」という言い方が気に入っていて、「これから落語会なんかで、「名人!」なんてかけ声をかけるより、「よっ、人物!」って言ってほしい。」
演目の井戸の茶碗は、ワタシ上方落語では初めて聞きましたが、設定が
(ところ) 瓦屋町にある土浦藩の蔵屋敷、江戸では細川藩
(登場人物) 江戸落語と同じ高木作左右衛門、貧乏浪人の千代田卜斎、屑屋で正直者の清兵衛は同じやけど、小判の発見後、清兵衛が高木に見つけられるのは上方では当日、江戸では数日後。
(井戸の茶碗) 信長、秀吉、家康が所有していたが、関ヶ原の戦いの時に紛失した朝鮮の茶碗。(江戸落語では信長、秀吉、家康って話はなかったように思う。)
元々が、「細川茶碗屋敷の由来」という講談からつくられたもののようです。
ちなみにネットで調べると、「奈良興福寺の寺臣、井戸氏所持の茶碗が当時名高く、これから起こったものという説が一般的です。ちなみに井戸の名の起こりであるこの茶碗は、のちに筒井順慶に伝わって、深めで高台が高いので筒井の筒茶碗といわれ、略して筒井筒と呼ばれ、井戸の中の名碗となっています。」
ってなってるので、上方にゆかりのある噺です。
中入り後、浪曲の菊地まどかさん、浪曲・嫁ぐ日。
ワタシ、どちらかというと、曲師の虹 友美さんに注目。
高い、小さい声で、「はぃっ」っていうのがかわいかった。
トリに桂雀三郎さんが登場したのは、もう8時40分。
さてさて、三十石夢の通い路はどこまで聞けるのか。ってこちらがあせってるのに、雀三郎さんゆっくりと三十石の船の説明から。
30石というのは75俵になるので、重ねると人間でも75人くらい乗れる。
重ねられないので、実際は20〜30人か。
「伏見人形」のくだり(饅頭食い、福禄寿、寝牛)はカット、船宿で、船待ちをしている人たちは「将棋を差してる人がある、碁を打ってる人がある、こっちではまた携帯でメールを打ってる人がいる。」って。
宿帳にいろんな名前が出てくる部分はなく、枚方で終わるパターン。
いつ聞いても船頭歌はいいですねぇ。(今日の「やれさよいよ〜い よ~~い」はもう一つでしたが。)
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