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近鉄桃山御陵前で下車、さてさて、どこまで歩けるか。
駅西、京町通りを北へ北へ。
藤森手づくり市ってのがちょうど開催中、時間的にイベントがない時間帯だったことや、ちょい、先を急ぐ旅なのでスルー。
少し北、西へ街道をそれると、疎水と京阪電車がある。
疎水をこえる橋のたもとには花が咲き誇り、のどかな光景。
聖母女学院。 京都検定にも出題されたという煉瓦造りの建物。
表で、写真を撮っていると、通りすがりのおじいさんが「ここはなぁ、昔十六師団があった建物やねん。真ん中の白い丸の校章があるところ、あそこには昔菊のご紋が入っててんで。」と教えてくれた。
さてさて、第二部は東山七条にある太閤秀吉ゆかりの豊国神社から。
全国にある豊国神社の中で一番古いものらしい。
大阪城の豊国神社へは落語会で行ったことがあるけど、京都のここは初めて。
ここの絵馬はちょっと変わっていて、瓢箪型。
写真が荒いので読めませんが、左上は松本幸四郎、真ん中上は勘三郎、
豊国さんを語る上で欠かせない耳塚。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役1592年~1598年)の際、討ち取った朝鮮・明国兵の耳や鼻をそぎ、持ち帰ったものをこの塚に葬ったとされています。
辰巳大明神。
舞妓さんはここにお参りしてからお座敷に向かうそうです。
(観光タクシーのガイドさんが言ってたのを聞いた。)
辰巳大明神の垣、真ん中が藤山直美、その左が月亭八光、月亭八方。
で、このあたりで鶴、Y氏と合流。落語会に続く。
ちょっと、間があいたけどっていうか、ワタシがブログをあんまり書かなかったせいか。
昨夜、浮世亭とんぼさんからコメントをいただきました。
とごかこのあたりにあるはず →
で、応援の意味もこめて、ケーエープロダクションのタレント紹介のページにリンクを貼っておきます。
最近流行の3分とか5分で笑わせるスピード漫才とはちょっと違って、ちっょと以前のスタイルの落ち着いて聞ける漫才。
チャンスがあれば是非聞いてみて下さい。
奈良キリスト教会 15:00
・桂そうば うなぎ屋
・桂 出丸 禁酒関所
・笑福亭仁智 源太と兄貴(純情篇)
まずは、桂そうばさん、例の「桂そうばを知ってる人は拍手を。」「ほんまですか〜?地元福岡の落語会で・・・」ってマクラから。
平城遷都1300年を軽くいじって、ゴールデンウィークも過ぎて暖かくなってきました。今日は夏の食べ物の話を、と、うなぎ屋を。
やっぱり落語に入ってくると大阪弁が乱れ出す。
続いて、桂 出丸さん。
この落語会(出丸さんが仕切ってる。)は第26回、13年目ということで、平城遷都は1300年・・・・
酒を飲み過ぎて師匠(当時朝丸)をしくじりそうになった話題がマクラ。
で、酒つながりで禁酒関所。
さてさて、トリの笑福亭仁智さん。
今日は源太と兄貴(純情篇)
いつもいつも、チェルシーから笑わされて、はちゃめちゃギャグ満載。
源太の「兄貴、それなら知り合いから聞いたんですが、商店街の路地はいったところに・・・・・」の繰り返しもさすが。
熱演でした。
マクラであった言葉が面白かったんで。
「外国の言葉に、不幸とは、日本の家に住んで、アメリカ人を妻にして、イギリスの食事をして、中国の給料をもらうこと。
で逆に、幸せとは、アメリカの家に住んで、イギリス人の給料をもらい、中国の食事をして、日本人の妻を持つこと。」
プログラム
【第1部】喜歌劇「メリーウィドウ」抜粋版 F.レハール
ナビゲータ 桂九雀
客演 ダニロ:細川 勝(関西二期会)
カミーユ:西口佳宏(関西二期会)
ソリストおよび合唱:ふたかみ市民オペラ
演奏:セントシンディアンサンブル
【第2部】
オペラ座の怪人 セレクション
YELL いきものがかり
サウンド・オブ・ミュージック メドレー
ええ加減、「落語日記」のタイトルを変えてしまえってお叱りのメールが届きそうなくらい、番外編ばっかり。
まあ、今日の記事は落語に全く関係がないわけでもないので、ご容赦を。
今日は、なに、それって感じで「昼下がりのオペレッタ」。
オペレッタっていうのは、wikiによると、「基本的に喜劇であり、軽妙な筋と歌をもつ娯楽的な作品が多い。ハッピーエンドで終わるのが主流。」とされていて、まあまあ楽しみにしていってきました。
で、何でこういうのに行ったのかって理由を3点。
(1)桂九雀さんに案内のメールをいただいたこと(九雀さんも出演されてるので)
(2)会場が地元だったこと
(3)入場料が500円と安価だったこと
です。
で行ってみての感想。
桂 九雀さんって、一昨年くらいの「噺劇」(落語を芝居仕立てにしたもの)でも驚いたけど、今回はオペレッタを台本に落語に仕立て、なおかつ、要所要所の歌の部分はオリジナルを採用、また、お囃子代わりに(?)ブラスバンド。
って仕様。
う〜ん、多分この人は天才か、さもなければ・・・。
今日は、例によって西ノ京から奈良までウォーキング。
途中の秋篠川の石碑。
淡雪のほどろほどろに降りしけば平城の京師し思わゆるかも
(大伴旅人 万葉集 巻8 1639)
左大臣 長屋王と藤原一門とが陰に陽に拮抗する政況の中で、聖武朝の前途に一抹の不安を感じていた大伴旅人は728年春、太宰府へ赴任した。
この歌は、太宰府で初めての冬、(赴任した年の暮れから翌年の早春)に作られたとされている。
都の中央政界の動きなどを考え会わせると、この歌は単なる望郷の思いだけではなかったのだろう。
ちなみにこの歌が詠まれた直後(もしくはほぼ同時期)の729年3月16日、長屋王は藤原氏の陰謀で謀叛の疑いをかけられ、自殺した(長屋王の変)。
先ほどの石碑のやや北、秋篠川を北東から望む。
川の右手(西側)には唐招提寺の木々。
唐招提寺は759年に鑑真が開いた寺なので、平城京造営時に条坊(じょうぼう)に合わせて直線化された人工河川である秋篠川よりは少し新しいことになる。
で、何が言いたいかというと、この景色、多分1250年くらい前からこんな景色やったんやろうなってこと。
秋篠川は西の堀河として、水運の要だったらしいので、唐招提寺を建てる材木などもここから陸揚げされた・・・・・かも。
南西の入り口あたりから、第一次大極殿を望む。
奈良に土地勘のある人ならわかるだろうけど、平城宮跡は真ん中を近鉄電車が突っ切ってる。
ので、この風景も、
このあたりはエントランス広場で、バスターミナルになってるあたり。
まだ、一定の秩序がある。
朱雀門広場のあたりは学園祭のノリ。
商売熱心なのはいいけど、ただのお祭りでもいいけど。
「もいちど、ゆっくり奈良にやってこよう。」って思わなさせ力満点。
で、今日のウォーキングのほぼラスト、近鉄新大宮駅付近。
イトーヨーカドーの敷地内にある長屋王邸跡地の記念碑。
結構なスペースを取っていて、立派な記念碑。
(どうやら、奈良そごう出店のとき、地元などの反対が強かったせいか。)
ええ〜っと。
特に落語日記なわけではないですが、京橋から大阪城を経由して南へ南へ、上本町まで歩いたのでその「道中写真」を。
もう、大阪城の天守閣の写真撮っても・・・・って感じで、太鼓のパフォーマンス。
大阪城を抜け、国際平和センターを西へ、KKRホテルの東から中央大通りを越えたあたり(昔の府立青少年センターがあったあたり)
歴史の散歩道を南に歩くと、中央区玉造。
旧町名は越中(えっちゅう)町。
越中町の由来。
落語で「越中」といえば、「細川の殿様」ですよね。竹の水仙(左甚五郎)とかに出てくる。
で、その細川越中守忠興がここに住んでいて、その台所だったあたりだそう、で井戸の跡がこれ。
そのガラシャ夫人に関係があるのかどうか、この付近には聖マリア大聖堂や大阪女学院(旧ウヰルミナ女学校)、大阪クリスチャンセンターなどがある。
大阪女学院の角を左(東)に行くと、玉造稲荷神社。
東の旅の発端のところ。今日はパス。
女学院の南東角(敷地内)にはOCCホールってのがあって、こんなのが。
福郎さんをトップにせず、ききょうさんで売るとは。
これも、宗教関係か(五郎兵衛さんの)。
ウヰルミナ女学校は以前、「大阪あそ歩」でいった川口居留地にもともと(プール女学院やバルナバ病院)あったので、ガラシャ夫人とは関係ないか。
プール女学院 大学、短大は堺、中学、高校は生野区
バルナバ病院 天王寺区
改めて、「旧川口居留地」で調べると「平安女学院、プール学院、大阪女学院、桃山学院、立教学院、大阪信愛女学院といったミッションスクールや聖バルナバ病院等はこの地で創設された」って。
で、千日前通り、小橋町へ。
ここを東に行くと産湯稲荷やけど今日は帰ります。
で、近鉄百貨店で焼酎の試飲をやっていた。
奄美大島町田酒造の里の曙って黒糖焼酎。
試飲させてくれたお兄ちゃんが「ウチの焼酎は・・・」っていうので聞いてみると、なんと奄美大島から来てる町田酒造の人だそうな。
3種類試飲して、結局試飲してないこれを買いました。3150円也。
お兄ちゃんオススメのロックで、ちびちびと。
京橋ビギンホール 13:00
・林家染雀 宿屋町
・露の都 阿弥陀池
・笑福亭鶴瓶 回覧板
二度目か?のビギン寄席。
今日は、久々にY氏と同行。
Y氏とは、3月30日の露の五郎兵衛の1周忌(キリスト今日では周忌とは言わないらしいが。)以来、1ヶ月以上ぶり。
おまけに、この間、落語会以外で初対面をした「ごまめ」さんも来てはるそう。
ごまめさんとは、開演前に会えました。
入場時にもらったチケットには、笑福亭鶴瓶、露の都、笑福亭瓶成と書かれていたが、ポスターには、林家染雀さん。
事前申込、予約制で、100人の会場には、申し込みもせずにやってきたおばちゃん連もいて、何とか、彼女たちを最後列に座らせるキャパもあったりして。
まずまずの運営。
(ワタシ、最後列に座ってたんで、後ろで立たれて、延々喋られるとつらい。)
まずは、林家染雀さん、宿屋町。
米朝さんの型、ちょっと「かみかみ」なのはあんまり高座にかけてないからか。
「いかな裁判官もこの(けつ)にだけは判決に困った」ってくだり、誰か新しいのを作らへんかなぁ。
いつも染雀さんの技量、巧みさに感心するワタシとしては、それがなかった分残念。
つづいて、露の都さん、例のマクラとも雑談ともつかない話の中から、突然、落語の世界へ。
マクラ?では、東大阪での「都の古典百選」の話題や、70回記念のビギンに鶴瓶さんを呼んだのに、伝わってなかったことなど。
演目は、露の一門お家芸の阿弥陀池。
「堀江の盆踊り」とか「過ぐる大戦」って言い回しが違うのが楽しい。
さてさて、ここまでのお二人は短めだったので、変に期待を持たしてしまった感のある笑福亭鶴瓶さん。
マクラではマネージャー話題や奥さん話題など、どうもその奥さん話題から離れられずに回覧板へ。
この噺は「現代劇」なので、話題はその時々にあわせて、いくらでも差し替えはできるはずで、(逆に触れてはいけなくなった話題もあるかも)新作落語ならぬ、夫婦の関係がある間はいつでも「最新作」落語になる噺。(これが落語かという議論はあるでしょうが。)
会場のお客さんはほぼ鶴瓶・都ファンの方達なので、完璧ホームでのプレイですから出来が悪いわけがなく、落語会としては盛り上がった感満点でした。
さてさて、石切さんのただならぬ霊力(?)からやっと抜け出したワタシは、とぼとぼ野崎観音を目指して歩く。
国道170号は歩行者のことなんか全く考えてない道で、バスと普通車がすれ違うにも「待ち」の流れ。
で、野崎詣りで賑わうゴールデンウィークなら、1km近く前から交通規制。
大東市内に入ると、下水のマンホールが「野崎詣り」
「日本には、この、「三参り」と申しまして、関西にはこの有名なお参りが三つございます。
ひとつはこの京都祇園さんの「おけら参り」、もう一つは讃岐の金毘羅さんは「鞘橋(さやばし)の行き違い」、いまひとつは大阪、野崎詣り。
ここは5月の1日から10日間というものは大勢のお参りで大変賑わいます。ここにございました我々同様という馬の合うたふたり、野崎詣りをしようと大阪を東へ東へ、片町も過ぎ徳庵堤へ掛かりますと主従無礼講、その道中の陽気なこと・・」(三代目春団治)
この時点で、11時過ぎ。
これからお参りして、また、駅に向かって人をかき分けて歩いてたら、12時開場のビギン寄席に間に合わへん。
で、残念ながら、今年も野崎詣りはできませんでした。
ゴールデンウィークと野崎詣りとがかぶっているって知ったのはいつ頃やろうか。
いつか野崎詣りに行こうと思い出したのは、いつ頃やったろうか。
いつもゴールデンウィークは何か気ぜわしなく、終わってみてから「そやった!」ばっかり。
で、今年は2日のビギンの前に行こうと思いつく。
ただ野崎観音に行くのも、って、今回は石切さんから歩くことに決定。
で、「恐るべし石切神社!」
とてもとても、石切さんの参道だけでたっぷり楽しめるんで、なかなか、野崎観音にむけて歩き出せない。
まずは、駅前。
この風景は電車からも見えるので・・・・
右端にある「街路樹」って学生時代に何度か行ったことがある。
この風景も電車から見える。
ちょっと角度が違うだけで、新鮮。
いろんなお店があって。(これは、午後「ごまめ」さんにお会いするので、何となく撮った一枚。)
何か、こころに想うことがあったりすると、こんな一枚の書でも感じ入ったりする。
写真には撮ってませんが、やたら、「占い」屋さんがあって、通り全体が宗教感と生活感が混じったような町。
老若男女が、生活と悩みと祈りとが、ごちちゃまぜになったような。
若い女性が何かを祈ってる・・・その向こうで祈りの対象となってる「神」のアニメ的な存在。不思議。
後半、野崎詣りへとつづきます。
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