第271回 旭堂南海の何回続く会?(20-024)
19:00 千日亭
・旭堂一海 鳥居と成瀬
・旭堂南海 山崎久我畷大合戦
今回も、手元に二つのバージョンのチラシがある。
多分上のものが初期のもので、下の綺麗な方が後から作られたもの。
下の方は、ちゃんと一海くんの名前が出ている。
2/16の宝塚市の小林亭でもチラシに名前も演目も書かれてましたね〜。
で、その一海くん。
演目は鳥居と成瀬。
ワタシの古いブログを見てみると、南海さんで聞いたことがあった。
2014年4月26日、「旭堂南海の講談読切り独ヨガリ(当時、徳徳亭って言ってました。)」という会で、4月26日、27日の二日間、ともに昼席、夜席で各回とも南海さんが3席ずつ読むと言うもの。(ワタシは26日の昼夜に行きました。)
ちなみに、当日の演目は、
4月26日(土)開演14:00
「信長と秀吉」(桶狭間の戦い)
「土方長十郎の妻」(難波戦記異聞)
「腰元彫・昆観」(名人譚)
4月26日(土)開演18:00
「鳥居と成瀬」(三方原の戦い)
「維納の辻音楽師」(異国モノ)
「怪談・怨みの高座」(新作)
4月27日(日)開演14:00
「高山と中川」(天王山の戦い)
「藤十郎の恋」(菊池寛:作)
「鍔屋宗伴」(義士外伝)
4月27日(日)開演18:00
「七本槍の出陣」(賤ヶ嶽の戦い)
「三十三間堂通矢の由来」(名人譚)
「怪談・吉備津の釜」(上田秋成:作)
で、その鳥居と成瀬。
徳川家康がまだ遠州浜松の城主だったころ、家康の家来に、鳥居四郎左衛門忠広と成瀬藤蔵正義の二人がいた。
この二人の仲は大変悪かったが、あいにく屋敷が隣同士に割り当てられた。
元亀3年12月のはじめの寒い日、鳥居は中間に、庭に馬盥(ばだらい・うまだらい、馬を洗うたらい)を置き湯を汲めと言いつける。冬のさなか、外で行水など・・・風邪をひいてしまう。
中間は止めようとするが、鳥居は言うことをきかず、盥のなかで行水をし、中間に身体を洗ってもらう。
戦では、敵に首をいつ取られるとも分からない。首実検の時に垢が付いていては「臆病者が戦場で首をすくめていた」と笑われてしまう。だからこうして首をきれいにしておく必要があるんだ。隣の腰抜け侍とは訳が違う、と言って笑う。
この声が隣の成瀬に聞こえてしまった。怒った成瀬は中間に言い付けて水を汲んだ馬盥を用意させ、行水する。湯を使って行水するのは弱虫のすることで、真の勇者は水で行水するものだと言う。
この声がまた隣の鳥居に聞こえたので、今度は氷の張ってある水を盥に汲ませ中に入る。
氷水の方が垢がよく落ちるという。これを聞いた成瀬は、中間に、手拭なんてヤワな物は使うな。縄に砂を付けて首を擦れ、するとそれを聞いた 鳥居は今度は岩で擦れ・・・互いに意地の張り合い。ついに二人は刀を取り、真剣で勝負を始めてしまう。
そこへ通りかかったのが、酒井左衛門尉忠次(一海さんの話では本多氏だったような)。日頃から仲の悪い鳥居と成瀬が真剣でちゃんちゃんバラバラ始めたから、止めないといけない。
庭に入ると、二人は真っ裸で真剣勝負をしている。ちょっとこの辺りで言葉が詰まり始めて、おしまいに。
(ここまで)
この後、酒井は仲裁に入ろうとするが、二人は聞く耳を持たない。そこで、酒井は二人を禄盗人だといって笑う。
ここで、もし一人が死んだなら、どうして武田を相手に戦う。これに二人ともハッと気づき、決着は戦場で付けようと二人の諍いは一応は収まる。
まあ、結局二人とも戦場で討ち死にしてしまうという話。
ネットであらすじを探してみました。
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