備中高松城・岡山城(番外)
11月14日に、岡山市に出張すねことが決まったとき
14日の午後は会議で、翌日は休暇を取って、岡山を観光しようと思い立つ。
講談好きで、岡山といえば、備中高松城址。
1582年、秀吉は中国攻めを任され、高松城攻め(備中高松城の戦い)にかかった。
高松城の周囲は低湿地で、人馬が進めず、難攻不落とされていた。
5月8日、黒田官兵衛の発案で、城を堰堤で囲む土木工事が開始された。これで高松城を水没させるというもの。
これが「高松城水攻め」と呼ばれ、突貫工事で11日後に堤防が完成。ときは梅雨時で堰堤内には水が溢れ、城は水没した。
信長は6月2日、本能寺の変が起こり、信長の死を知った秀吉軍は毛利軍に知られる前に、6月3日毛利方の軍使・安国寺恵瓊と和議。
城兵の命と引き替えに4日、清水宗治は漕ぎ出した小舟で切腹。秀吉は大急ぎで京に戻る「中国大返し」を行い、山崎合戦(天王山の戦い)で光秀を討つ。
ってだいたいこんなあらすじです。
講談では、若い時に、「秀吉と易者」として、秀吉と安国寺恵瓊が会ったことがあったり、秀吉とともに高松城を攻めた宇喜多秀家が関ヶ原で敗れ、八丈島に島流しにされたり、もちろん山崎合戦とかにも伝えられています。
烏城(うじょう)と呼ばれる黒い城。
もともとは、宇喜多氏の居城。
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