第2回追手門寄席「上方落語に登場する武士たち」 (11-71)
14:00 大阪城スクエア大手前ホール
・桂あさ吉 たけのこ
・林家花丸 蔵丁稚
・桂梅團治 佐々木裁き
・高島 幸次
大阪大学CSCD招聘教授、追手門学院大阪城スクエア企画アドバイザー
・岩城 卓二
京都大学人文科学研究所准教授
さて、最近雨にたたられる週末。
途中、Yさんから「席を取っておいたよ。」との電話。最近ずっとYさんより遅いな〜。
まずは、桂あさ吉さん、「たけのこという噺は短いが、花丸さんにゆっくりやれと言われてますので・・・」と、いろいろなマクラを。
(結果、15分やれといわれたところ、25分演ったそう。)
続いて林家花丸さんは、蔵丁稚。桂梅團治さんは佐々木裁きと三題続いて武士が登場する噺。(蔵丁稚は芝居の中だけですが。)
で、他にも天狗裁き、二番煎じ、禁酒関所など上方落語にも武士、さむらいが登場するが、さて、昔の大阪にどれくらいの武士がいたのか、が後半のメインテーマ。
大阪大学の高島幸次先生、京都大学の岩城先生と噺家さん三人が登場して、対談・クイズ(?)。
まず、大阪で武士の割合はどれくらいだったか・・・江戸では半数近くが武士だった・・・・
なんと、大阪では約2パーセントが武家、なので隠居や女性、子供を差し引きすると1パーセント未満だったのではないかとのこと。
町奉行と、城代、あと蔵屋敷が多かったといっても、出張所というか県事務所なのでそれぞれ数名。
つぎに、落語との関係。
例えば、「たけのこ」や「癪の合い薬(やかんなめ)」にも出てくる「べくない」はどんな字を書くのか。(可内だと思ってました・・・・。)
たけのこに出てくる武家の屋敷は隣から竹の子が出てくるが、どれくらいの広さなのか。
また、間取りは?
あと、興味深かったのは「武士は階級ではない。身分制度ではない。」って話。
たしかに、武家出身の商人もいたし、佐々木裁きのように桶屋の倅を取り立てて、(落語とは言え)与力になったということも実際にあったらしい。
養子縁組とかの手立てはあるとしても、そうした便法で変われるというのはそもそも「身分制度」と言えるのか。
いやいや、素晴らしい。面白い。
落語もさることながら、あとの対談。
きっと、後日(再)更新すると思います。(^。^)
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