“落語”と“街歩き”で巡る船場・豪商夢の跡~船場・淀屋・鴻池~(11-64)
13:30 大阪美術倶楽部(旧鴻池本宅跡)3階・備前の間
・笑福亭竹林 平の陰
・林家染雀 雁風呂
・お囃子紹介(笑福亭松五・笑福亭飛梅・早川久子)
・笑福亭松枝 莨の火
船場まつりの一環の落語会。最近、なぜかとんとご無沙汰の大阪美術倶楽部で。
まずは、全体の案内役というかプロデューサー役の笑福亭竹林さんから。
江戸時代の庶民の暮らしは、訪れた列強の人々が驚くほど明るいものだったらしい。
江戸から明治を「日本の夜明け」などと呼ぶが、果たしてそれまでは暗黒の時代だったのか?
いや、最近では、そうではなかったとの説が主流を占めていて、むしろ、今目指している権限の委譲がいまより進んでいて、市民は(庶民は)生活しやすかったはずとされている。ってな話から。
演目はなぜか平の陰。
この噺(噺自体が、ですよ)ワタシ、あまり好きではない。
まあ、笑福亭のお家芸ではあるんやけど。
続いて林家染雀さん。
文化的な、かつ、鴻池、淀屋をテーマにした今日の催しにふさわしく、雁風呂を。
生で聞いたのは多分初めて。
(中入り後に話がありましたが、オリジナルは三遊亭圓生さんで、そこから師匠染丸さんを経たものらしい・・・)
何の根拠もなく、てっきり米朝さんだと思いこんでた…。
「雁には月がつきもの。松には鶴、または日の出、松鶴とか。」(そう言えば、竹内日出男でしたよね~。とか考えてました。字、合ってるかな?)
中入り、おおっ、斜め後ろにH氏発見。
例によって、半ズボン。(あのー、走るための服装ですから、念のため。子供のような半ズボンではありません。)
中入り後のお囃子紹介では、笛や太鼓を出笑福亭松五さん、飛梅さん、三味線を早川久子さんって段取りで。
飛梅さんはまだまだって感じで、兄弟子松五さんに代わりを頼んだり、見かねた染雀さんが飛び入りで代わったり。
松五さん、しばらくみない間に(鶴二さんの独演会打ち上げでお見かけしましたが。)背筋、ちょっと伸びてきたかな?
見事に笛を吹く姿は見違えるよう。
お囃子紹介では、司会役の竹林さんが、いろんな太鼓を「この、太鼓、どういう風に打ってるか、知ってる人が今日は多いと思いますので、知らない人でわかる人(?)いらっしゃいますか?」
やりにくいでしょうね。
中入り後は、松枝さん。
こちらも珍しい莨の火。
松枝さん、最近老けてこられたので、いい感じに合ってる。
昔の、あの、ふさふさ頭ではちょっといやらしく感じるでしょうね。
IT長者だとか、バブル成金に見えてしまうといっぺんに興ざめしてしまう、演者を選ぶネタです。
※ちなみに一番弟子の松五さん、この話を聞いて松枝さんに弟子入りを決意されたそうです。
で、最後にスタンプカードをもらってスタンプラリーに出発。
H氏は信号待ちを嫌って番号に関係なく早いルートを、ワタシは番号通りに。
ゴールでは、空くじなしの抽選会があり、H氏はなんか特別賞の本をもらってた。
ワタシ?4等のお米1kg。
スタンプラリーのチェックポイントの写真です。
出発地点、旧鴻池家本宅跡。
第2ラリーポイント、十兵衛横町。
両替商の天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛の2軒が道を隔てて店を構えていたそう。
五兵衛+五兵衛で十兵衛。
平野屋の跡は現在の開平小学校。
第3のポイント、俵物会所跡
中国の高級食材、干しアワビやフカヒレなどを俵に詰めて取引していたが、これらは非常に高価な物でまた金銀銅のの代わりに使われていたので専売制となっていた。
第4ポイント。いわずと知れた適塾跡。
史蹟緒方洪庵舊宅及塾
1838年に開かれたそうです。
うん、幕末ですね。
第5ポイント、銅座の跡(モデルありがとうございます。)
住友の浜・・・等で精錬された銅をここでとりまとめて、海運で長崎に運んだらしい。
ちなみに後ろは愛珠幼稚園、もとは民間設立で現在は市立。大阪市最古の幼稚園。
ちょうど御堂筋Kappoで御堂筋は通行止め。
南方向。
突き当たりが南海電車・・・冥土筋?
同じく北方向。
淀屋小路。
この看板と路地だけが昔を偲ばせる。
比較的新しい淀屋の記念碑。
昔の海運の荷運びの情景などが描かれている。
こんなところにも参加してます。
最近、順位下がってますよ~。
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