奈良 平城遷都1300年(番外)
今日は、例によって西ノ京から奈良までウォーキング。
途中の秋篠川の石碑。
淡雪のほどろほどろに降りしけば平城の京師し思わゆるかも
(大伴旅人 万葉集 巻8 1639)
左大臣 長屋王と藤原一門とが陰に陽に拮抗する政況の中で、聖武朝の前途に一抹の不安を感じていた大伴旅人は728年春、太宰府へ赴任した。
この歌は、太宰府で初めての冬、(赴任した年の暮れから翌年の早春)に作られたとされている。
都の中央政界の動きなどを考え会わせると、この歌は単なる望郷の思いだけではなかったのだろう。
ちなみにこの歌が詠まれた直後(もしくはほぼ同時期)の729年3月16日、長屋王は藤原氏の陰謀で謀叛の疑いをかけられ、自殺した(長屋王の変)。
先ほどの石碑のやや北、秋篠川を北東から望む。
川の右手(西側)には唐招提寺の木々。
唐招提寺は759年に鑑真が開いた寺なので、平城京造営時に条坊(じょうぼう)に合わせて直線化された人工河川である秋篠川よりは少し新しいことになる。
で、何が言いたいかというと、この景色、多分1250年くらい前からこんな景色やったんやろうなってこと。
秋篠川は西の堀河として、水運の要だったらしいので、唐招提寺を建てる材木などもここから陸揚げされた・・・・・かも。
南西の入り口あたりから、第一次大極殿を望む。
奈良に土地勘のある人ならわかるだろうけど、平城宮跡は真ん中を近鉄電車が突っ切ってる。
ので、この風景も、
このあたりはエントランス広場で、バスターミナルになってるあたり。
まだ、一定の秩序がある。
朱雀門広場のあたりは学園祭のノリ。
商売熱心なのはいいけど、ただのお祭りでもいいけど。
「もいちど、ゆっくり奈良にやってこよう。」って思わなさせ力満点。
で、今日のウォーキングのほぼラスト、近鉄新大宮駅付近。
イトーヨーカドーの敷地内にある長屋王邸跡地の記念碑。
結構なスペースを取っていて、立派な記念碑。
(どうやら、奈良そごう出店のとき、地元などの反対が強かったせいか。)
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