大阪あそ歩(その1 Part2)
さてさて、川口から江之子島へ帰ってくる。
「大阪には、橋がない。」
「何言うてんねん、淀屋橋、天満橋・・・」
「それはみんな(ばし)や、京には三条の大橋、四条の大橋とはしがある。」
ってな話を長谷川さんと話してました。
ちなみに、上の金属の部分はレプリカ、下の石の部分は本物だそうです。
中学校立て替えのとき、移転(!)したらしいので、実は井戸ではない。
大村益次郎が若い頃に暮らした、とある商家のあったあたりとのこと。
定
一、切支丹宗門之
儀ハ是迄御制禁
之通固可相守事
二、邪宗門之儀ハ固
禁止候事
慶応四年三月
太政官
「明治政府により、この高札が廃止されたのは明治6年2月24日のことで、わが大阪教会の前身、梅本町公会が設立される明治7年5月24日の1年3ヶ月前のことであった。この高札が当教会に存するのは、おそらく、当時の設立に当った信者の1人が、この高札撤去に当たり、その1枚を手に入れていたものを教会に寄贈したものと思われる。」
(大阪教会所蔵資料の解説より)
雨の中、参加者にはカッパが配られ、基督教団大阪教会をあとに北へ向かう。
筑前橋(土佐堀川)から、中之島、田蓑橋(堂島川)をこえて、蛸の松へ。
この辺りで、雨も小降りに。
もともと、松の枝ぶりが、蛸が泳ぐ姿に似ていたのでついた名前らしい。
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