ひがしむき寄席〔08ー032〕
今日で、4連チャン。
年に2回の奈良のお散歩。
奈良県内に暮らしているものの、奈良市というか、興福寺や東大寺のある「奈良」にはなかなか足が向かない。
今回は、時間的な余裕もあって落語会の前に三作の墓を見に行ってきた。
落語ファンならよくご存じの「鹿政談」の前振りに、昔、奈良では鹿は春日さん(春日大社)のお使いとして非常に大事にされていたというエピソードを表すのに必ず使われる「石子詰」の話。
道路の反対側から。三条通、春日大社の鳥居のやや西側、猿沢池の東。
扉は閉じられていて、観光客の訪問を拒んでいるよう。
(後で、興福寺の方に聞くと、押せばすぐ開きますよとのこと。)
「興福寺十三鐘伝説石子詰について」
【上の写真の説明】
〔ある日、興福寺の小僧さん達が大勢この堂で習字の勉強をしていた処、一匹の鹿が庭へ入り小僧さん達の書いた紙をくわえたところ、その小僧の一人、三作が、習字中に使用していた、(けさん=文鎮)を鹿に向かって投げました。ところがこの一投の文鎮は鹿の急所に命中し、鹿はその場にて倒死しました。当時、春日大社の鹿は、神鹿とされ「鹿を殺した者には石詰の刑に処す」との掟があった為、鹿を殺した三作小僧は子供と云えども許されることなく、三作小僧の年、十三才にちなんだ一丈三尺の井戸を掘り、三作と死んだ鹿を抱かせて井戸の内に入れ、石と瓦で生埋になりました。三作は早く父親に死別し、母一人、子一人のあいだがら、この日より母「おみよ」さんは、三作の霊をとむらう為、明けの七つ(午前四時)、暮の六つ(午後六時)に鐘をついて供養に努めましたところ、四十九日目にお墓の上に観音様がお立ちになられました。その観音様は現在大御堂内に稚児観世音として安置されています。子を思う母の一念せめて私が生きているあいだは線香の一本も供える事が出来るが、私がこの世を去れば三作は鹿殺の罪人として誰一人香華を供えて下さる方はないと思い、おみよさんは紅葉の木を植えました。当世いづこの地に行っても「鹿に紅葉」の絵がありますのも石子詰の悲しくも美しい親子愛によって、この地より発せられたものであります。〕
菩提院のすみに咲く、通称「なんじゃもんじゃ」の樹。
(和名ヒトツバタゴ)
まずは、笑福亭由瓶さん。
最近は落語ブームで、、、。
ブームというモノには(1)仕掛け人、(2)ブームに乗る人、(3)ブームに乗り遅れる人の3パターンがあって、たとえばこの落語ブーム、桂 三枝師匠などは繁昌亭の建設など、いわば落語ブームの仕掛け人、桂 吉弥さんなどはちりとてちんでブームに乗った人。私の師匠 笑福亭鶴瓶も東京の春風亭小朝師匠などとブームを作ってきた人。(ここで、彼はいらんことを言う、今日の出丸さんは、また、8番バッター。)
で、鶴瓶師匠、鶴瓶のらくだという落語会を各地で開催したが、なんと、入場料が8,400円、それが1時間で完売。
その点、私の落語会、前売り800円(師匠8,400円も取るんやったら自分で払いなはれ。)で、1割程度、それでもなかなか入らない。
カラビンカの落語会は7時開演だが、当日の6時58分まで前売り扱いします。
自分自身の携帯電話で、「チケット由瓶」と名乗るそう。
演目は、強情灸。
由瓶さんのキャラにあった噺かも。
続いて、笑福亭遊喬さん。
先ほど、由瓶さんの高座の間に彼の携帯電話が鳴りました。残念ながらチケットは完売しましたと答えときました。
今日は朝からマラソンのスタートの司会(?)をやってきました。
まあ、落語家もいろいろなタイプがあって、米朝師匠の一門は「しゅっ」としたインテリタイプ、文枝師匠の一門はテレビに出ている人気者が多く、われわれ笑福亭は酒の話題ばかりの一門。どこの店の枝豆が大きいだの、、、、、。で、禁酒関所。
今日はトリの桂 出丸さん。
いつもは、前座に後輩を頼んで、トリに先輩を頼んでとやっているが、今日は私がトリを。
で、落語会の方、「思ったより入りましたねぇ。」って、どうせ8番バッターやから。
マクラで高校時代に、友人が万馬券をとったって話題から高津の富に。
「当たった、あたあたあたあたあたあたあたあた、、、、。」で,笑わされました。
演目は、高津の富。
次回は11月の予定。
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